日本産の栗(くり)材もチェスナットと呼ばれるアメリカ産と共に、栗(くり)で材質もほぼ同等材と言ってよいかと思います。日本産の栗は、四季に揉(も)まれた分だけ、アメリカ産チェスナットより軍配は日本産に挙がります。

栗(くり)コブについて

栗コブの由来

その1

今から10年程前に入荷した栗の根コブです。コブの大きさは、2m10cm・径巾1m以上・厚み60cm近くある巨大な栗の塊りです。親木は既に50年以上前に伐採され、親木の幹腹にへばり付いていたコブです。このコブだけが取り残され、一人歩きして春になるとコブから孫(ひこ)生え・従長枝(とちようし)が、まるで魚のハリセンボンのように、全体を小枝で覆われていたと言います。

二度と栗コブで巨大な物は無いと言われる

写真①:二度と栗コブで巨大な物は無いと言われる

写真②のように、挽肌に「縮緬」、「タクリ」、「玉」、「小玉」、「小豆」の各杢目が5種類以上入った材は見た事がありません。ゆっくり乾燥させ、服を剥ぎ取るようにブロック材を取り、水中乾燥させた材です。

巾1m50cm近く有るコブの断面図

写真②:巾1m50cm近く有るコブの断面図

写真③は、剥ぎ取った材の皮肌です。写真④は、この材の木裏材面で杢目が集中しています。

剥ぎ取った材の皮肌

写真③:剥ぎ取った材の皮肌

木裏材面で杢目が集中

写真④:木裏材面で杢目が集中

その2

このコブの親木は樹齢500年とも言われ、名古屋で製材したところ、巾1m20cm巾の板が取れたと言います。この材は、ようやく道が開かれた身延の山地をトレーナーに積み、当時の愛知県銘木協同組合(現在は閉鎖)に運ばれ、その大きさから話題になった材です。

なぜこのような巨大な栗コブになったのか?

この栗の出材地に由来がありました。奥多摩山系の奥、南アルプスの山脈の東、一段山並が下がった山梨県身延山地真中に位置していて、月ノ輪熊(ツキノ・ワグマ)の一大棲息地としても有名な地域です。ここからは推測になりますが、秋口、冬眠前に栗の実を食べ、春先に縄張り等の爪研ぎ(つめとぎ)など、百年単位の熊の行動による傷口がこのような巨大なコブを生んだと思います。何世代に渡る熊の行動です。このようなコブは、見た事が無いと同業者は言います。ラカッポではこのような珍しいコブから、ステッキのハンドル材を取材します。

拡大して見て下さい。めったに無い栗コブのいろいろな杢目

拡大して見て下さい。めったに無い栗コブのいろいろな杢目

写真⑤:拡大して見て下さい。めったに無い栗コブのいろいろな杢目

よくある質問と回答

Q:栗の木で何かエピソードはありませんか?

A:板の面を大工さんが持つチョウナ(錛)でリズム良く叩き削り(ハツリ)仕上る事を名栗(なぐり)加工と言います。この工法が出来たのは、古く江戸の天保年間です。当初は、板では無く栗の小丸太だったそうです。人名も残っています。

埼玉県草加市文化会館「漸草庵 百代の過客」にて撮影した名栗の腰掛

写真⑥:埼玉県草加市文化会館「漸草庵 百代の過客」にて撮影した名栗の腰掛

京都府下北桑田郡弓削(ゆげ)村の杣職(そましょく)山の仕事を主に生業(なりわい)とする職人集団の鵜子久兵衛(うこききゅうべい)が創製したと言いわれています。この材を売り出した材木屋家号圓長(えんちょう)愛宕郡鷹ヶ峰(たかがみね)(村)と言われています。

この名栗は、現代建築の中に材は栗(くり)以外でも、花梨板・杉板など選ばず、いろいろな所に使われています。最近では、ホテルフロントパネル・駅のショッピングモール壁面など、建材メーカーも一早く機械で名栗った材も広く共に使われています。

チョウナによる名栗は、京都には何人か腕の良い職人がまだ居ると言います。明治の終わり頃から、ツキノミによるハツリが広く普及して来て、現代では東京に「ときわ名栗」、大阪に「橘名栗店」の一軒づつ残り、ツキノミ手技による技術を引き継いでいると言います。

栗瘤(くりこぶ)のご紹介は以上です。続いてクラロウォールナット・コブをご紹介いたします。

木族の会(樹種辞典)

ステッキの材料となる様々な貴重な樹種についてご説明いたします。

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