幻の小笠原桑の大曲りステッキ(右はその原木。生育木の貴重な柾目板。黒い桑特有の胡麻斑がみられる。)

幻の小笠原桑の大曲りステッキ(右はその原木。生育木の貴重な柾目板。黒い桑特有の胡麻斑がみられる。)

小笠原桑(くわ)は、幻の桑と呼ばれています。東京から南1000キロメートル以上の太平洋上にある島々。小笠原諸島は、代表的な父島、母島、弟島を始め、太平洋戦争時激戦地の硫黄島や領海問題で有名な南鳥島、最近火山爆発でニュースで話題となった新しい島の西ノ島を含む大小30あまりの島々の総称です。

小笠原桑(おがさわらくわ)について

歴史

ここに挙げる桑は、父、母、弟島に主に見られる独特の固有種で、今では生育木100本たらずしか現存していない植物です。小笠原が歴史上節目となった年は、以下の通りです。

  • この島が地球上で発見され年:江戸寛永年間(1639年)
  • 欧米の入植者が入った年:1830年
  • 日本の領土に確定された年:明治9年(1876年)

現地の様子

小笠原は、これまで南海の孤島として、亜熱帯特有の日射量、降雨量など、この島だけの気候条件が加味され、手付かずの島として、多くの緑に包まれてきました。そのため、島独特の固有種が多いと言われています。

諸島内の緑を構成している中、特に桑の木が代表種となります。しかし、多くの桑の木が伐採されてしまっています。現在残っている切り株は、径が3メートルを超す物があり、また地を這う巨大な桑の根がここかしこに残っているそうです。

発見されてから今まで約380年間、この島はめまぐるしく政治、戦争、乱開発などいろいろな経緯を踏んで、昭和43年に日本へ領土返還され、現在に至っています。

島内の生態系

なぜ桑が幻になったかといえば、明治期に近海で獲れる鯨(鯨油)、カツオ漁(鰹節)生産が主な収入源だったため、近くの木々を漁船等の燃料として、長期に渡り刈り取られ続けてしまいました。また、入植者が持ち込んだヤギ、猫、犬、ネズミなどの外来生物によって島内の生態系が崩れてしまいました。特にヤギによる草食被害が、小さな島で始まってしまった事で拍車がかかり、更には一方的な大径木順に伐採が続いてしまいました。

そのため、元来島内で育まれてきた食物連鎖や自然循環の崩壊が、桑が激減してしまった最大の要因です。また、早くから桑(島桑系統)が島内に移植されたり、燃料のため沖縄から持ち込み移植されたアカギなどが、繁茂してしまった事も桑が激減してしまった原因の一つと考えられています。

特に桑(島桑系統)に関しては、正確にいつ頃からこの島々に持ち込まれたかは明確になっていません。この八丈島桑と小笠原桑のハイブリッド化(交雑種)が、かなり進行してしまっているため、純粋な小笠原種は、成木以外、幼木、新苗もなく、正に絶滅状態と言えます。

明治期には東京汽船(現東海汽船)の定期航路が開設され、東京の指物業界等にかなりの小笠原桑が出荷供給があったといわれています。現在、島のほとんど全域が国立公園に指定され、動植物の保護区となってしまっています。更に2011年には、世界遺産に登録され、更に厳しく制限されています。

小笠原桑の根

最近、本土復帰直後、カジキマグロのトローリングを楽しむ方が、地元の漁師が、家の床柱でもと譲られた材が東京銘木(協)に出品され、買い付けた小笠原桑の根です。長さ4メートル、径が24センチから30センチあります。

小笠原桑の根

小笠原桑の根

よくある質問と回答

Q:小笠原桑は黒いと言うのは本当ですか?

A:黒色という表現は事実です。今ネット上に出回る材はかつて生えていた伐根を主に挽いた物を見ているので、黒、正確には黒褐色です。

以下の写真は、根を挽いた物です。どちらも真黒ではなく、生育木は恐らく黒褐色から濃い茶色です。

小笠原桑(おがさわらくわ)の一枚板

小笠原桑(おがさわらくわ)の一枚板

小笠原桑(おがさわらくわ)の一枚板

小笠原桑(おがさわらくわ)の一枚板

大正15年宮内省の調度品を製作した”桑樹匠”の1人である指物師、竹内不山という方が居ました。偶然茶道を習っている頃、銀座の美術商から、買い受けた茶道具”桑水指棚”です。

桑永指棚

桑永指棚

天板

天板

箱書

箱書

箱名に竹内不山の印、箱書きに小笠原桑を似て造ると書かれています。皆さんが観念的に思い浮かべる黒とは違いますね。本来の桑に近い桑色です。不山氏も小笠原桑を語っています。内地桑、島桑より色気が黒いと!!当時国宝制度がなかったので、竹内不山の下で修業し、後に人間国宝になった指物の中台瑞真氏を輩出しています。

Q:どうして小笠原の桑は黒いのですか?

A:私もはっきり地質学者ではないのでわかりませんが、小笠原諸島は火山から成り立っています。地球的な長さを考えれば、火山時に近くのサンゴ礁を巻き込む形で、現在の土壌が形成されていると思います。買い付けた桑の根にも石灰が多く含んでいました。また切ってから、100年以上経った木々に言えますが、長年の月日の形状変化と、朽ちる手前にはよく黒化します。屋久杉なども木に多く樹脂により、土埋木は生育木とあまり木質は変わらないという例外があります。もし保護林の桑を伐採して製材をしますと黒色ではなく、茶褐色だと思います。そうでないと、サテライト土壌の地球と同じ東南アジア、キューバ島も広葉樹全部が黒くなるはずです。

Q:小笠原についてエピソードがありますか?

A:小笠原にはもう1つ幻の木があると言われています。それは香木の白檀(ビャクダン)です。現在島内で知っている方がいればよいのですが、どこの島かわかりませんが、限られた崖部分に群生地が何箇所かあるそうです。昔から幻という枕言葉として無人(ムニン)という冠を付け、無人白檀と呼ばれています。ハワイにも土産物でサンダルウッドとして香水が売られています。太平洋ミクロネシア圏を北限とした場合、小笠原にあってもおかしな話ではないと思われます。

小笠原が日本に復帰する前に、当時の防衛庁の知り合いの方から譲り受けた小笠原桑の根コブの輪切り材とその材を拡大した杢目です。巾1メートル内外にて、ラカッポ蔵にて撮影したものです。

小笠原桑の杢目:ラカッポ蔵にて撮影

小笠原桑の杢目:ラカッポ蔵にて撮影

小笠原桑の杢目:ラカッポ蔵にて撮影

小笠原桑の杢目:ラカッポ蔵にて撮影

輪切り材については、以下のような情報もあります。

戦前から小笠原には、帝国陸海軍の施設があり、南方占領時の食料調達の事を考え、南方に自生する植物等の栽培の実験をしていたそうです。昭和2年当時の昭和天皇が”海軍戦艦山城”でこの地を行幸した際、島にあった桑の根に興味を持たれたそうです。直径3メートルを超す巨大桑の伐採根から厚さ1尺の巨大な輪切りを宮内省に献納する事になり、3枚を二見港より積み込む際、あまりにも重量のためワイヤーが切れ、海中に落下したという話が残っています。

現在赤坂御苑にその内の一枚が納っていると聞きます。この大きさから中国料理の円卓なのか、大テーブルとして今もあると言われています。私も聞いた話なので、どなたか知っていれば教えてくださいませ。とにかく小笠原桑といい、興味尽くせない魅力ある島です。

桑(くわ)の関連情報

桑(くわ)に関しては、以下のページでまとめています。

桑(くわ)

桑(くわ)桑を確認

御蔵桑(みくらぐわ)

御蔵桑(みくらぐわ)御蔵桑を確認

小笠原桑(おがさわらくわ)

小笠原桑(おがさわらくわ)小笠原桑を確認

小笠原桑(おがさわらくわ)のご紹介は以上です。続いて楓(かえで)・メープル・イタヤカエデをご紹介いたします。

木族の会(樹種辞典)

ステッキの材料となる様々な貴重な樹種についてご説明いたします。

木族の会(樹種辞典)