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南天(なんてん)について
名称の由来
平安初期弘法大師(空海)が804年唐の国から遣唐使としての帰路、南天の苗木を持ち帰り、その後、鳥媒介により全国に広まったと言われています。南天は、中国・インド・ヒマラヤの原産とも言われ、メギ科の常緑低木で、樹高は2m前後しかならず、成長も遅く手首の太さになるのに、100年以上と言われています。赤い実は、南側の天に昇った太陽を表し、地表に陽光が差し、邪気を取り去る事から地上の赤い実と太陽と重ね合わせ、難を取り去り福をもたらす意味から、”難転”になったと言います。現在はシロナンテン・キンシナンテン・フジナンテン・ヒメナンテンなど、いくつもの園芸種を確認しています。平安時代から、白南天の実は、咳(セキ)止の薬として、喘息(ぜんそく)・百日咳(ひゃくにちせき)の効能があると言います。
分布
もともと本州・中部岐阜を境に、以西四国・九州に広く分布します。薬用としての栽培が盛んな岐阜郡上八幡や奈良、そこから野生化した群生地も数有ると聞きます。
用途
何と言っても建築材、それも茶室数寄屋の材料として、古くから使われています。有名なのは、京都銀閣寺夕佳亭(せっかてい)です。曲りはありますが、大工技量が高い方が、取り付けたと思う程見事です(材は2m40cm×径5.5cm)。南天は、非常に成長が遅く、また根元付近から孫生え枝(ひこばえ)・徒長枝(とちょうし)が多く、まともに3mの1本の姿立はめったになく、遠くで眺めていると真直でも、近くで見るとくねくねと曲がっている材も多く、ほとんど使えないのが現実です。茶室は部屋の広さにより、床柱の寸法が定まりがありますので、夕佳亭の柱は、さすがピカ一で、侮れない(あなどれない)秀美品と言えます。建築材では、他に棟木(むなぎ)・壁止り材(かべどまりざい)・下地窓(したじまど)の面皮棒など、細かい物で茶道具茶杓(ちゃしゃく)・香合(こうごう)・身近では箸類・工芸では根付の玉(たま)としても使われます。
写真②は、私がかつて扱った茶室6帖の南天床柱です(群馬県沼田産)。3m×径75mm、売買代金当時285万円です。納めたのは、静岡県熱海の丘の中腹にある別荘で、熱海湾を見下す事が出来、天空の茶室から、夏は花火がタテ輪に見えます。ある意味最高の舞台に、嫁入りしたと思います。
今まで太い床柱としては、寅さんの映画で有名な柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)大客殿頂経の間に、元株が30cm近く有り、上の方は何本か枝別れしています。
写真③は、京都千本銘木銘木商会が出品した物で4m近く有り、枝下3mの南天床柱です。化粧箱に据えられている材は、京都府花背(はなせ)の産出材と言われています。第16回全国銘木展示会に出品された材は、径80mm有り注目された材と言われています。滋賀県伊吹山産の南天が、東京柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)に嫁入りしたのとは逆に、この南天は、滋賀県八日市のお寺に納ったと言われています。
写真④は、材木店のコレクターさんが持っている枝分かれがあるものの径9cm近く有り、立派な材と言えます(本500万円と言います。世の中には、南天の床柱と聞くと、居ても立ってもいられないコレクターが存在します。)。
この様に”杉材”みたいに、真直な材は無く、ほとんど捻れ、曲り、元からの枝別れ、先の枝分かれがありますが、径80mmを越える太さの南天は、戦後銘木業界広しと言えど、数えても8本と有りません。今度訪ねようと思っている所は、戦前の日光旧御用邸の”南天の間”です。今は市の博物館になっているそうです。
写真⑤は、東京在京の茶家の茶室台目柱(だいめい)の使い方も上手く、曲り具合といい(太さも決まりが有り2.0寸です。)、”景色”も有り、最高の意匠です。さすがですね!!
写真⑥は、さりげなく床ノ間脇に使われた南天柱です。京都北区にある別荘で、かつて、美空ひばり、石原裕次郎も宿泊したと言われています。
以下の写真3枚は、令和元年、千葉・浦安市・木材市場に出品された南天の床柱です。「特別銘木大賞」の札(ふだ)が見えます。出品したのは兵庫の方だと言われています。特別に作られた化粧箱に入れられ”鎮座(ちんざ)”での出品です。一本は曲がりが強いですが、使い方で、また4.5mは床柱に充分使用可能です。早くもセリでマニアの方が買われたそうです。勿論7桁の代金です(4.5m・径86mm、3.0m・径80mm)。
ステッキとしての南天
写真⑦の「A」は、ラカッポで唯一綺麗に曲がった大曲りステッキの銀飾りです。色が黒く見えるのは、経年変化する内に、必ずと言っていいほど皮が剥がれます。その為、曲げ後、何回も漆塗り(うるしぬり)をしています。
写真⑦の「B」は、真直に見えても、曲がりが強くステッキになりません。熱を加えて曲がりの部分の直しを心掛けた物は、熱をかけた部分だけ、心材に細かいヒビが入っていて、使っている内に必ず折れます。ですから、南天のステッキは実用性では無くある意味、洒落(シャレ)で持ってもらいたいコレクション性の強いステッキと言えます。
写真⑦の「A」のように、皮の剥がれも無く、手に馴染む丁度良い太さで真直な、もし製品であれば、本100万円以下で、もし御買いになられたら、安い買物をしたと思って下さい。本当に直材はありません。
ラカッポでは、何回も試みたのですが、良材であればある程、折れてしまい上記の1本のみの在庫ですが、写真⑧の「A」のような太さがあり、年輪を積んだ物があれば、「B」、「C」のように丸削りして、ハンドル型に仕立てた方が堅牢さがあり、色も経年変化も楽しめます。写真⑧の「B」は丸削り木地、「C」は漆塗り(色付け)です。「A」のような一見節も無いように見えますが、削り始めると虫喰い跡、虫穴、傷、節跡など、木地と言えども無欠点に見せる材は少ないです。
銀細工品の南天ステッキの作品例については、以下のページでご紹介しています。
南天のステッキはなぜ高いのか?
- ①一番に年輪の有る親木(樹齢150年以上)の脇から生えている脇枝、従長枝の真直くな材がほとんど無い為。
- ②切る前年の夏口から秋口まで、防虫剤(スミチオン)を掛け管理する。
- ③切る時季は、秋の彼岸から春の彼岸までの間の寒中である。
- ④切った材は、2~3週間水に漬け込む(全体を沈める)。
- ⑤取り出した材の末・元・上・下を見定め、暗く適度な風が通る所で2~3年乾燥させる。
- ⑥この時、多少の曲がりを直せる物は熱を加え直す。
- ⑦2~3年の間、1年に2回は防虫処理をする。
- ⑧曲げ(大曲り)加工時、曲がらない傾向が判断出来る物は、早めに「A」、「B」のの丸削り加工の方へ向かせる。
- ⑨大曲りが上手く曲がった物は、乾燥させ、同材の皮を指物店で曲り成りに補修・漆塗りを何回も掛ける。
- ⑩決して大きな曲りは直さない(矯正した所は必ず折れる)。
①~⑩まで、非常に手間が掛かります。どうしても大曲りに適した材が上手く用立出来ればの話しです。
ラカッポでは、持ち込み曲り加工もしますし、直材適寸の良材があれば、買取らせて頂きます。
よくある質問と回答
A:大阪銘木協同組合に15年前ぐらいに、南天の柱6~8cm丸の床柱用の丸太が10本入荷したと電話が入り、買付に行った事がありますが、南天では無く扱った人でしか分らないアベマキの幼令木でした。
写真⑨⑩は、新木場旧山安第二ビル内の傘様式の茶室の床柱、阿部槙(あべまきの柱)です。
写真は参考品ですが、南天より皮が厚くコルク状で、戦争中は、赤玉ポートワインのコルクの代用にしていたと言われます。皮が薄い幼令林は、一見南天と見間違います。
写真⑪のように市場に出品されている本南天は、曲りがあったりするため使い物になりません。
写真⑫は、”南天”と言われ住宅へ見に行ったら、まったく違っていました(雑木の株立ち材)!!
また、カミヤツデ天狗の団扇のような葉を付けた木ですが、葉を全部落とした物は、南天に良く見間違います。
A:写真⑬の「A」は、あまりにも南天の細く真直な物が無かった為、昭和40年代に型出しポリエステル樹脂で作られた人造模造品です。
「B」、「C」は、天然の南天材です。「A」人造南天の天井竿縁(さおぶち)や太口の床柱が飛ぶように売れた時代があります。
私だったら、もっとリアリティに造りますが、南天の葉も赤飯に添えている物もプラスチックになった昨今、引き分けですかね。
禅に生きる名僧・南天棒
本名は、中原鄧州(なかはら・とうしゅう)。江戸末期天保10年~大正14年(1925年)。明治から大正にかけて活動した臨済宗の僧侶で、堂号等はありますが、広く世間では、南天棒と言われました。
明治時代、屈指の豪僧・名僧と言われ、山岡鉄舟・乃木希典・児玉源太郎などが、彼らの心的影響を受けたと言われてます。常に南天の棒を携えて(たずさえて)、全国の著名な老師と言われた二十四人もの老師と禅問答に臨(のぞ)み、全て敗ける事は無かったという逸話が残ります。また、全国の禅道場を巡っては、修業僧を容赦なく、この南天を用い殴打し、半端な仏心・邪念を持つ修業僧は、鬼気迫る警策(きょうさく)ならぬ南天棒から逃げ廻ったと伝えられています。
警策(きょうさく)・敬策(けいさく)とは、坐禅修業をする禅堂で用いる用具(1.2m)で、樫(かし)、栗(くり)の木で出来ている棒です。修業者の肩や背中を”パーン”と打つ棒の事を指します。
さて、持ち歩いている南天ですが、明治6年大徳寺・妙心寺両派の全国末寺(まつでら)を視察する役目を仰せつかり(おおせつかり)、九州・宮崎から大分に入る県境で、農家の牛小屋の脇に樹齢200年とも300年とも言われる木が生えているのを見つけ、その見事な赤い実を付けた枝振りに感動し、農家の主(あるじ)に禅問答まがいで直談判し譲り受け、その場で3尺5寸(1m・6cm)に切り、その後この南天に命を吹き込む五文字を考え、入魂したと言われています。
「臨・機・不・譲・師」機にのぞんで師にゆずらずの意味の5文字です。今も南天棒の袋に山岡鉄舟の直筆で書かれています(写真⑭)。以来、この南天棒を常々身に置き、自身を打ち、雨を打ち、風を切りがごとく、門下3,000人を身震いさせ、仏の正しい道を導いたと言います。
南天棒は、自身言い伝え切れない言葉を南天に不立文字(ふりゅうもんじ)として託したと思われます。
この2寸7分丸(8cm)・南天の棒で渇(かつ)!!人、恐倒・驚倒です。
南天の棒状ステッキの事で、製作上の事で書ききれない方法・技術等があります。もし疑問やご質問があれば、御遠慮なくお電話(03-3521-7990)くださいませ。
南天(なんてん)のご紹介は以上です。続いてニレコブ(ヨーロッパエルム)をご紹介いたします。
木族の会(樹種辞典)
ステッキの材料となる様々な貴重な樹種についてご説明いたします。
ステッキ専門店【ラカッポ】について
ラカッポは、おしゃれなステッキ製作を手がけ国内外のお客様からご好評を得ている東京新木場のステッキ専門店です。株式会社山安によってプロデュースされています。ステッキのあらゆるオリジナルデザイン、意匠(銀細工・象牙彫刻・宝飾)に到るまでオーダーメイドによる製作を承ります。アンティークステッキ、思い出のステッキの手直しについても修理を承っております。
お問合せ・ご来店予約
ステッキ専門店ラカッポは、お客様のご要望をお伺いさせていただきながらフルオーダーメイドでステッキを製作、販売させていただいております。ご来店の際は、事前にご来店予約をお願いいたします。また、ご不明な点などございましたらお気軽にお問合せくださいませ。みなさまのご利用、お待ちしておます。