マツ科の樹木で、現在はホンジュラス・ニカラグアの海・海岸に面した平地から、標高1000mの山間・山地の谷筋・渓谷に分布しています。樹高25~30m・直径30~60cmが平均で、かつてはバハマ諸島をはじめキューバ・ジャマイカ・ハイチ・ドミニカ・プエルトリコなど、西インド諸島に大きな樹木が繁茂していたと言います。
カリブ松(カリビアン・パイン)について
この材の用途は、家具・床材・フロリーングなど、昔と変わらず船材として、船室内装、ボート、ヨットの甲板材に使われます。
材面は、日本のヤニ松(男松・黒松)より気候条件により樹脂物は多く、中にはヤニが材全体に廻り、ヤニ分が吹き出し、こぼれるような材も多いです。
カリブ松の悲しい歴史
1492年コロンブスが地球の西廻りでインドに向かう航海中たどり着いたのが、現在の西インド諸島、サン・サルバトル島だったと言われています。その後、ポルトガル・スペインの大航海時代を迎へ、中南米進出の足掛かりとして、港・基地として栄へました。現在ホンジュラスにカリブ松の樹高45m、直径1.350mの巨木が有ります。人跡・末踏の西インド諸島には、カリブ松が繁茂していたと言われ、コロンブス発見以来、200年~300年の間に、ハバナ諸島やキューバなどのカリブ松の巨木がすべて消滅しています。この材の主な使用は、今も”魔の三角トライアングル”と言われている地域に有り、当時から船舶の遭難やシケによる破損で、修理材として帆船のマストや竜骨材に多く使われたと言います。又、ヨーロッパ家具の歴史を塗り変える程、マホガニーの需要が有り、共に乱伐採され、又その後のプランテーション(バナナ・カカオ・コーヒー・サトウキビ)と急激な人口増加と栽培地の拡大により、カリブ松が消滅しています。すべて植民地主義(搾取)の歴史が物語っている1面です。
カリブ松のエピソード
昭和45年に当時東京京橋にあった(株)篠田銘木店が一早くカリブ松を輸入し、フローリング販売をしました。今も国産ヤニ松のフローリングは、幻化しており高額です。日本の肥松と遜色が無いこの材に目を付けた訳です。当初価格月報を見ますと、赤無地特A、3,600×115×15、8枚(坪)11,000円と表記されています。当時1970年(昭和45年)、大学新卒給料31,510円、ラーメン110円です。現代物価の約1/3で、これでも日本産松(坪80,000~坪150,000)からすると安いので、飛ぶ様に売れた訳がわかります。私もこのフローリングも扱った事がありますが、ヤニが廻って、とても良材だったと記憶があります。3~4年経った後、この時期でもホンジュラスの松の備積量の先細りで、入荷がまったく無くなり、ミャンマー産メルクシ松やカンボジア松、ラオス松と時代の流れの中に材が変わって行きました。あれ程輸入されていたアメリカ産米松(ピーラー)も、世界的に品薄状態です。
ステッキとしてのカリビアン・パイン
現在カリビアンパインの日本への入荷は、まったく無く幻材となりました。植林木や幼年令木では、産地による材質変化が著しく、ステッキ材には不向きです。かつて日本に輸入されていたホンジュラス産のカリブ松、高年令木が今でもあれば、ステッキとしてはAクラスの物になります。その中でも特長であるヤニがすべて廻っている様な(手がベトベト付く程)の材で製作した大曲り品は、アルコールを浸み込ませた布地で、常に乾拭きし、拭き込みますと、飴色(アメイロ)・琥珀(コハク)色・ベッコウ色に変化し、すばらしいステッキになります。
カリブ松は樹脂(ヤニ)が命です。
カリブ松(カリビアン・パイン)のご紹介は以上です。続いて花梨(かりん)をご紹介いたします。
木族の会(樹種辞典)
ステッキの材料となる様々な貴重な樹種についてご説明いたします。
ステッキ専門店【ラカッポ】について
ラカッポは、おしゃれなステッキ製作を手がけ国内外のお客様からご好評を得ている東京新木場のステッキ専門店です。株式会社山安によってプロデュースされています。ステッキのあらゆるオリジナルデザイン、意匠(銀細工・象牙彫刻・宝飾)に到るまでオーダーメイドによる製作を承ります。アンティークステッキ、思い出のステッキの手直しについても修理を承っております。
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