着物羽織額裏(がくうら)・2題

江戸時代士農工商の厳格な身分制度があり、また庶民に対して幾度か贅沢禁止令のお触れも出しています。そうした中、特に商人は富の力の権力が増していく時代でもあり、身分制度の反抗や意地の張り合いを表は質素だけど、見えない所に贅を凝らす”うら勝(まさ)り”文化が発展していきました。

例えば、持物袋物の中、堤げ物のタバコ入れなど皮は金皮唐草、根付はサンゴ玉、象牙などさりげなくさらりとした使い方の文化です。着物を例に取ると、質素な綿、紬織物、羽織を脱ぐと、そこには鮮やかな色彩の絵、額裏もこうした文化の流れから生まれた”うら勝(まさ)り”です。

当時から水滸伝(すいこでん)に登場する英雄、豪傑をはじめ動植物(龍、麒麟(きりん)、虎、蛇、唐獅子)など挙げたらきりがありません。中には、はばかれるような性的描写絵などもありました。

私事ですが、ここに挙げた裏額2題は、私が30代始めに作った物です。私の所へ出入りされていた呉服屋さんに注文した物です。この頃、江戸時代より深川芸者(辰巳芸者)は、地元江東区門前仲町にあった岡場所、花街でした。当時辰巳芸者といえば、男まさりで”オキャン”と呼ばれた男気、侠気(おとこぎ)を持ち合わせた芸者として有名です。

地元”木場”は、そういった気風とよく溶け込んだと思います。また素足に羽織姿、名前も源氏名男名前何々奴など、当時景気はまだまだ下火になっておらず、木材業者と深川芸者は縁が深い関係でした。

若いながらも業界の友人とよく仲町へ飲む機会がよくあり、そこで三業から引退した小料理屋さんの女将と知り合い元辰巳芸者という事もあり、親しくさせていただきました。花街の衰退は、カラオケや銀座などにお株を奪われ、三業地の検番も無く料亭も店を閉じ始めた頃です。そんな折、この女将(よし佳姉さん)がまだ営業している料亭があるので、元芸者さんを連れ出し、月1回業界の若手を育てる目的とした遊びの会が生まれました。

酒の注ぎ方に始まり、盃のやり取り、盃洗の使い方、端唄、都都逸(どどいつ)と進み、最後は”深川踊り”として有名な踊りで、男踊りと女踊りがある事を知りました。1~2年では、とてもここまでは付いていけません。今もあると思いますが、”鈴木屋”という履物屋さんで、目の通った桐の下駄を求めた事を覚えています。

今でもこの額裏を見ると若き日が目に浮かびます。

冬の筏流し、場面は州崎弁天橋(現在の東陽町一丁目)

写真①:冬の筏流し、場面は州崎弁天橋(現在の東陽町一丁目)

当時の”木挽”風景

写真②:当時の”木挽”風景

江戸時代の挽き方

写真③:江戸時代の挽き方

この原画は石井赤太郎という”川並(かわなみ)”、”筏師(いかだし)”が手先が器用で、仕事の合間に当時日本橋浜町の日本画の先生に習いに行っていたという遊び人でもあります。

  • ①冬の筏流し、場面は州崎弁天橋(現在の東陽町一丁目)。雪が少し積もった菅笠に屋号山安が入っています。
  • ②当時の”木挽”風景です。半天に屋号が染抜いています。
  • ③江戸時代の挽き方、時代考証したように正確です。

ステッキ専門店【ラカッポ】について

ラカッポは、おしゃれなステッキ製作を手がけ国内外のお客様からご好評を得ている東京新木場のステッキ専門店です。(有)東京数寄屋倶楽部によってプロデュースされています。ステッキのあらゆるオリジナルデザイン、意匠(銀細工・象牙彫刻・宝飾)に到るまでオーダーメイドによる製作を承ります。アンティークステッキ、思い出のステッキの手直しについても修理を承っております。

会社概要

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コンセプト

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購入前の知識

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商品情報

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